鴻生舎の牛乳配達員

「鴻生舎」は、1873年(明治6年)に島根県で原文助が創業した牛乳製造販売の会社で、富田屋へ毎日牛乳を配達していました。富田屋は有名な作家である小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の居宅です
鴻生舎は牛舎、処理所、家屋敷を併せて3haの地所を持ち、中央街で商売をしていました。

鴻生舎の牛乳配達員

(写真・湖都松江vol8より)

小泉八雲と鴻生舎牛乳

山陰の松江市に1890(明治23)年に赴任した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン=1850~1904)は、日本各地に伝わる怪談、奇談を独自の解釈を加え情緒豊かな文学作品に仕上げた「耳無芳一」や「雪女」は余りにも有名である。
松江士族の娘小泉セツと結婚して居宅(富田屋)を構えた。八雲は毎日牛乳を飲んだ記録が残っている。
富田屋へ毎日牛乳を配達したのは、1873(明治6)に原文助が創業した牛乳製造販売「鴻生舎・こうせいしゃ」であった。牛舎、処理所、家屋敷併せて3haの地所を持って中央街で商売をしていた。
隣地は松江病院(現松江日赤病院)で、写真によると、大きな門構えに颯爽と配達車を並べた配達人の姿と、大きな看板には「松江病院御用達」「蒸気消毒牛乳(殺菌)」とある。71年間、松江地方の牛乳普及啓蒙をはかり1944(昭和19)年に惜しくも終焉している。
往時を偲ぶ法被、コップなど末裔の6代目が保存しているという。

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