お知らせ

お知らせ
日本酪農乳業史研究会の近況をお知らせ致します。

■2020年(令和2年)1月1日

               ご 挨 拶

会員のみなさま新春のご挨拶を謹んで申しあげます。

昨年は、第13回シンポジウム「明治期に誕生した牛乳搾取業の先祖をもつ末裔たち」を開催したところ、多くの皆様に参加していただき盛会裏にでき有難うございました。

本年度も乳文化史に相応しい「シンポジウム」の開催及び研究成果を盛り込んだ「酪農乳業史研究(会誌)」の発刊を中心に活動すすめます。

小さな研究会ではありますが、先人が築き上げた「酪農乳業」を後世に残さねばという「使命」を守ため、みなさまのご支援を賜りたくよろしくお願い申しあげます。

                      日本酪農乳業史研究会々長 矢澤好幸

■2018年(平成30年)2月16日

明治維新150周年に思う(2)

小泉八雲と鴻生舎牛乳

山陰の松江市に1890(明治23)年に赴任した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン=1850?1904)は、日本各地に伝わる怪談、奇談を独自の解釈を加え情緒豊かな文学作品に仕上げた「耳無芳一」や「雪女」は余りにも有名である。
松江士族の娘小泉セツと結婚して居宅(富田屋)を構えた。八雲は毎日牛乳を飲んだ記録が残っている。
富田屋へ毎日牛乳を配達したのは、1873(明治6)に原文助が創業した牛乳製造販売「鴻生舎・こうせいしゃ」であった。牛舎、処理所、家屋敷併せて3haの地所を持って中央街で商売をしていた。
隣地は松江病院(現松江日赤病院)で、写真によると、大きな門構えに颯爽と配達車を並べた配達人の姿と、大きな看板には「松江病院御用達」「蒸気消毒牛乳(殺菌)」とある。71年間、松江地方の牛乳普及啓蒙をはかり1944(昭和19)年に惜しくも終焉している。
往時を偲ぶ法被、コップなど末裔の6代目が保存しているという。(写真・湖都松江vol8より)


          写真は鴻生舎の牛乳配達員

■2018年(平成30年)1月19日

明治維新150周年に思う。

今年は明治維新150周年に当たり、各所で近代化の変遷史のイベントがあるようです。酪農乳業界もその足跡の情報収集に取り組んでいます。

明治期に活躍した西郷隆盛を語る、大河ドラマ「西郷ドン」もその一環で、その山場は明治10(1877)年に勃発した西南の役でした。
鹿児島酪農の先駆者・知識兼雄が経営する吉野牧場も戦火のため、牛を奪われ、畜舎、家屋、製乳設備など灰燼に帰してしまいました。
兼雄とその娘恵津は女ながら抜刀して畜舎を守りましたが、衆寡敵せず牛一頭残しただけでした。
(しかし知識兼雄は翌年政府から授産資金1万円借り再興を図りました。)

その模様は当時の鹿児島新聞に「吉次山放牛の圖」として錦絵が掲載されました。
官軍が闘う畜舎の前で牛が暴れている様子をリアルに描かれ後世に残しています。

現在「酪農乳業史研究(NO15)」2月中旬の発刊を目途に編集作業を進めています。(編集委員会)

■2017年(平成29年)9月16日

牛の草の食べ方と歯の役割

牛は長い舌をのばし、巻きつけるようにして草を口の中にいれます。
そして微生物(びせいぶつ)が消化しやすいように奥歯ですりつぶすようにかみくだきます。
このため牛の前歯は下あごにしかありません。
上顎(うえあご)は歯茎(板)だけです。


この時大切な役目を果たすのが唾液(だえき)です。
唾液は乾いた草をしめらせ、飲み込みやすくする働きがあり、唾液の量は一日100~150リットルにもなると言われます。


又牛の歯の本数は32本です。
特徴は下の前歯8本ありますが上の前歯ありません。
奥歯は左右3本です。


成長していく過程で乳歯が永久歯に生えかわります。
歯が生えかわる時は、何となく口が気持ち悪くなり、牛によって餌(えさ)喰(く)いが悪くなると言われます。
この時に歯が生え変わり、餌槽(えさそう)に歯が落ちます。
餌槽を掃除するときに喰(くい)残(のこ)しの牧草と一緒に堆肥化(たいひか)されます。
その後畑に散布(さんぷ)するので畑の土から発掘される事があります。

牛の歯は虫歯になりません。
理由は反芻(はんすう)動物(どうぶつ)だからです。
〈1日12時間反芻し唾液で歯をみがく。〉
また、虫歯菌が好むのは砂糖ですが牛は糖分の少ない牧草を常食するからです。


標本になっている歯は、水戸市徳川牧場(徳川好子さん)の畑で発掘されたものです。

(公益財団法人中田俊男記念財団牛乳博物館提供)

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